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自由民主党(じゆうみんしゅとう、)は、日本の政党。衆議院と参議院で第1党を形成している。略称は自民党、自民、LDP。1字表記の際は、自と表記される。 == 概要 == 1955年(昭和30年)に自由党と日本民主党の「保守合同」により結成された保守政党。太平洋戦争(大東亜戦争)前の二大政党・立憲政友会と立憲民政党、戦時中の翼賛政治の中核を担った会派である翼賛議員同盟と翼賛政治会と大日本政治会(以上3会派は日本進歩党の前身)及び翼賛政治に批判的な会派である同交会(日本自由党の前身)と護国同志会(日本協同党の前身)、また敗戦直後に結成された日本自由党と日本進歩党と日本協同党の流れを汲む。 結党以来ほぼ全時代にわたって政権与党の座にあり、結党から60年間で野党にあった期間は4年ほどである。そのため、戦後日本を代表する政党であるといってよい。 党の運営は、永らく執行部の権力が弱く、ベテラン政治家が「派閥」を形成してその派閥間での駆け引きで政治が行われることが常態化していた。これは、一つの選挙区に複数候補を立てる必要のある中選挙区制が採用されていたためである。同じ選挙区の同僚議員は、同じ政党でありながら当選を競い合うライバルであった 〔上州戦争、森奥戦争などの「名物選挙区」も存在した。〕。立候補者は党本部の応援を独占することができず、選挙区で個人の後援会を組織したり、さらには大物政治家の派閥に加わり、平時はその政局の駒となるのと引き換えに選挙においては派閥の援助を受けた。互いに有権者の歓心を買うため、金権政治の温床ともなった。1990年代に政治改革の一環として選挙制度が小選挙区比例代表並立制となり、以降は党本部の統制力が強まっている。 菅直人・鳩山由紀夫が結党した旧民主党や小沢一郎の作った自由党が登場した後は、党の正式名称である「自由民主党」を使うと混同される恐れがあるため、略称の「自民党」または「自民」を使う頻度が増えている。機関紙も、それまでの『自由新報』から『自由民主』に改題した。なお、野党となった2009年(平成21年)9月、党の政権構想会議で「自由民主党」に「世論の拒否反応がある」との理由で党名変更論が出た。「和魂党」「自由新党」などの新党名が提案されたが、批判が相次いだため結果として改名はされなかった。 広報宣伝用として「明るい太陽のもとで、自由にのびのびと暮らす人びと」と名づけたシンボルマークを用いているが、正式な党章は紫地に白線で描いた「中央に『自民』のモノグラムを置いた十四弁陰菊花紋章」である。また、かつては緑色の象をシンボルマークにしていたこともある。 自民党は多数の政治家を輩出しており、90年代以降の政界再編で非自民勢力の大物政治家であっても、元をたどれば自民党出身者が多い。総理大臣では細川護熙・羽田孜・鳩山由紀夫その他では小沢一郎・亀井静香・岡田克也などである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「自由民主党 (日本)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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